うちの近所・町内は、年寄りが多く過疎の街である。
これと言ってめぼしいものもなく、何十年と変わり映えしない街だ。
やはり近年は郊外へ移り住むため、町中はドーナツ化されているのであろう。
そんな町内でも、ささやかなニュースがあった。
“ハギとテツ”の話しである。
うちの母親(テツ)という人間は、よく言えば肝っ玉母さん。
悪く言えば、おせっかい(少々うざったい)。
決して口うるさくはないが、そんな母親に自分も似たのではないかとつくづく思う。
一方、筋向かいに一人暮らしのハギさんだが、とにかく誰彼構わず話しが長い。
それを抜かせば、人には義理堅くて律儀な人だなと思う。
そんなハギさんに母親は、特に大したこともしていない。
ごく普通の接し方と近所付き合いをしているまでだ。
そのような当たり前のことがニュースに取り上げられるのは、このご時世それが成されていないせいかも知れない。
そんな当たり前の母親が新聞3社に掲載され、ローカル民放局に放送された。
※地元紙・東奥日報は写真なしなので割愛します。
当日、町会長から話を持ちかけられて、その後間髪を入れずに取材をされたようだ。
スッピンとエプロンは、その時台所に立っていたことを物語っている。
マザー・テレサの言葉を借りれば、『私は、親切にしすぎて間違いを犯すことの方が、親切と無関係に奇跡を行うことより好きである』『愛の反対は憎しみではなく、無関心である』そうなのだ。
愛情が欠落している人は、人に無関心なのだ。
と同時に、自分にも無関心か自己愛が強すぎるか。
愛は無償なのだ。
時と場合によって愛にはお金もかかるが、基本的には無料なのだ。
愛の押し売りは愛ではない。
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